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説明できる力

人々の食事が危機的状況にある
と指摘される今日この頃です。

ほんとうでしょうか?

ある有名な先生が、「○○である」
というと、
同じようなことを言う人が増えるんだなあ、
と言うことも知り、

だから、多くの人(有名な先生も含めて)が「○○である」
と言っているからといって、
それが正しいとはいえない。

全員が、ちゃんと検証して「○○である」
と言っているというわけではない。

「○○である」ということの難しさ。

それは本当にそう言えるのか。

問い続けたら、なんにも言えなくなってしまいそうです。

でも、自分がなぜその立場をとるのか、
ということは、説明できるようでありたい。

それに反対する人がいてもいいし、そういう人がいて当然だということを知りながら、
なぜ自分はその立場をとるのか、それを主張するのか。

それを、説明できる、ということ。
感情的にではなく。


いろんな人の意見を聞いていて、
それはなんかおかしい、ということは、
最近、少しわかるようになりました。
(食育の関係の本は、感情的なのや曖昧なものが多い気がする)

人々の食事が危機的な状況にある、
というのは、ある意味では
現実に起きているといえるかもしれない。
危機的っていうのは、なにが危機的なのか、
と言うことが大事で。
誇張した、曖昧な表現で済ますのは楽です・・・
誇張した曖昧な表現のほうが、メッセージ性が強いから、
なにかを訴えたいときは有効なのだろうか。
もちろん、それでいいときも、きっとたくさんあるのです。

自分の、論理的思考と説明能力のなさと
その大事さを全然知らなかった、
ということに愕然としているわけです。

大学の研究者の人たちは、なんであんなにも
なんでもかんでも疑うんだろう・・・
と思っていました(すみません)
その、「○○である」はほんとうにそうなのか?
と疑問に思える力が、
すごく大事だということに気が付きました。

そのうえで、自分は「○○である」と言える。
ということのすごさも・・・
by ik-m | 2006-01-08 21:27 | 素直に | Comments(0)

HSP、子育てやホームスクーリング、移住や田舎暮らし、お仕事についてなど、試行錯誤しながら歩む日々を綴ります。


by るりまり
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